【ヨリドコロイド】環状線浪漫
穏やかで品のある兄と比べて、母も手を焼く、お転婆で生意気な気性であった。
およそ可愛らしいとは言えない顔立ちだったが、父を畏怖する板前たちからはお嬢さんお嬢さんとよくしてもらい、また兄にも可愛がられた。たまに父の目を盗んで厨房に入り、つまみ食いをするのが楽しみだった。
今にして思えば、あの頃が私の人生で最良の時期だったと言えよう。十二になった時、それまでの幸福だった生活は一変する。後継ぎとして育てられていた兄が病気で他界し、洟垂れ娘の私にお鉢が回ってきたのだ。
まさに青天の霹靂だった。その日から、私は『すいだ』の若女将になる者として、父の元で厳しい修業を受けることとなった。
多くの子供にとって、食事の時間は何よりの楽しみであろうが、当時の私にとっては拷問にも等しいものだった。
二つの鉢に掬った少量の出汁を口に含まされても、どちらも大差ないもののように感じられる。そうして違いがわかりません、と素直に応えると、父は決まって渋い顔を作る。
環、お前はそれでも料理人の娘か。そう怒鳴りつけられ、食事抜きと言う事もしばしばあった。味覚が鈍るからという理由で、菓子も取り上げられた。
何度も家を飛び出そうとしたが、そのたびに駅で捕らえられ、頬を張られ、連れ戻された。同じ年頃の少女たちが、楽しげに女学校へ通うのを横目に、私は東京はおろか、家から出る事すら、父の許可なしには許されなかった。
そうして二十四になった時、父の気に入りの板前と妻合わせられた。三郎と言う風采の上がらぬ男だった。彼もまた、父に逆らえず、打算で意に沿わぬ結婚をしたことが見てとれた。
夫婦仲は冷え切ったものだった。結婚して一年後に、あの戦争が始まった。夫はすぐに徴兵され、父はわずかな食糧の中から苦心して献立を考案し、家族よりも先に客に料理を提供し続けた。
その父も戦地に駆り出され、かつての料亭は閉店、母と二人だけで経営する雑炊食堂に姿を変える。私は今が逃げる時だと思っていた。既に一男一女をもうけていた私は、老いた母を抱えてなお、己の自由を諦めてはいなかった。
空襲が始まった時、息子を背に抱え、娘の手を引きながら、私は病床の母を起こさぬよう身支度を整えた。
環ちゃん、お願いだからお父さんの言うことを聞いて頂戴。そればかりを繰り返して私を庇ってくれなかった母に、今は微塵の愛情もない。眠っている母に別れを告げ表に出ると、空が紅に染まっていた。
耳をつんざくばかりの人々の悲鳴と怒声。炎が行く手を塞ぎ、川には夥しい数の屍が浮いていた。お母さん、と娘が泣き叫ぶ。走る方角から火だるまの人間が飛び出してきて、逃げ場がないことを思い知らされた。
走っても、走っても、炎の壁が迫ってくる。防災頭巾に、衣服に、赤い舌がまとわりつく。背中の子供も既に燃えているのだろう。
泣きたいのはこっちだ。ようやく東京を出る自由を手にしたのに、その先に待つのは死でしかないのか。
私の、人間の女性としての記憶はそこまでだ。
※
薄く眼を明けると、焼死体に混じっていくつか蠢くモノの姿が見えた。
火傷の跡一つない裸体をあらわにして、数名の若い女性が川辺をうろついているのだった。
既に火は収まったとはいえ、街の惨状が目に入っていないわけでもあるまいに、誰もが生き生きとした表情をして、倒れた遺体から衣服をはぎ取っている。
アラ、この方も起きたみたいだわ。もう大丈夫そうね。
彼女たちは私を見下ろしてまた嬉しそうな顔をした。そのうちの一人が、男性の生首を持ち上げて見せつけて来た。これ、お食べになります。少しぐらいなら分けてあげますわよ。
この人たちは狂っている。私はそう確信した。ここは羅生門の世界か、はたまた親を捨てた畜生が落ちる世界か。ならば煮るなり焼くなり好きにすればいい。夢うつつの中で私の意識は再び薄れて行った。
※
再び目覚めた時、戦争は既に終わっていた。私はどういうわけか生きていた。
水たまりに映る体は不細工なゴム毬のような形状で、表面はぬめり気を帯びていた。化け物になってしまった、それだけはわかったが、保護を求めようにも声が出ない。
彷徨ううちに冬が来て、私は猛烈な空腹を覚えた。どこをどれほど彷徨っても、餌は見つからず、とうとう身動きが取れなくなった。
そうしてどれほど時が経ったのか、真っ白な視界の中、誰かが私の体を齧っているのを感じた。
しゃり、しゃり。
人の肌にはあらぬかき氷のような音を立てながら、体が少しずつ削がれていっても、何ら苦痛や恐怖を感じないのが不思議だった。
目の前に、顔を雪で真っ白にした男性がいた。有り難い有り難い、と涙を流しながら、私の肉に歯を立てる。
近くで焚火の音がしていた。それで私はようやく、彼に食われている状況を理解した。
動けない私の体を、遭難中の男が貪り、糧としているらしい。さりとて怒る気にはなれず、またそのような気力もなく、私は大人しく彼の胃袋に収まり、内側から温めてやることにした。
男は、尾中兵多と言った。雪山からの奇跡の生還を、新聞はこぞってニュースに取り上げ、私はその辺りで初めてテレビというものの存在を知った。
吹雪に遭って、食糧も底をつき、燃料も残りわずか、もう駄目かと思った時に、雪に埋もれた肉の塊が見えたのです。あれがなかったら私は生き延びられませんでした。
尾中氏は何度もそう言っていたが、結局その肉の出所は、最後まで分からなかった。
それもそのはずだ、その肉塊は未だに尾中氏の身体の中にいるのだから。彼に命を救われたのは、私も同じだった。
化け物と化した私の餌は、男性の体内の不要物だった。私は、偶然にも彼に食べられたおかげでそれを知ることになり、結果、生き長らえたのだ。
彼の体はとても温かかった。そして幼い頃に死んでしまった優しい兄に、少しだけ面影が似ていた。戦争で何もかもを失い、自由も奪われてしまった私が、恩人である彼を拠り所とするのは、ごく自然なことだった。
それからの長い間を、私は尾中氏に寄生しながら過ごした。彼には妻も子供も孫もいたが、そんなことは当初は気にならなかった。
東京の外に出て見たいという気持ちは、この頃から少しずつ薄れ始めていた。同じ状況の仲間とも出会い、あの戦争で私たちのような『液状人間』が大量に産まれたことがわかってきたからだ。
液状人間の中には、人間の血肉を食らう存在もいるらしい。彼が襲われるかも知れないと考えると心配で、東京を居住とする彼の傍を離れたくなかった。
彼が御家族と一緒に買い物に出かける時も、こっそりと背後からついていった。妻に優しく微笑みかける彼の姿を見ていると、胸が痛くなった。
結婚記念日らしく、妻にハンカチを買い与えている。いつもありがとう、と笑う彼の前に躍り出て、私にもそれを言って欲しい、と叫びたくなる。
彼の健康を支えているのは妻ではなく、体内にいるこの私だ。
かと言って私の存在を彼に知られるわけにはいかない。まるで人魚姫のような葛藤が、私を苦しめていた。
もし、吸田の環さんじゃありませんこと。
背後からそう呼びかけられた時、振り返った私は目を疑った。私の実家のはす向かいに住んでいた女性が、空襲前と何ら変わらぬ美しい姿で佇んでいたからだった。
まさか、生きてご近所さんに会えるとは思わなかった。懐かしさのあまり私は破顔した。されど彼女が口からはみ出させている男性の指らしき物を見た時、表情が強張るのが判った。
何をしているの。
震える声で問いかけると、彼女は高らかに笑った。
ああ、あなた寄生系になってしまったのね。残念。お友達になれると思ったのに。
私は混乱していた。そう言えば意識を失う前も、私に向かって生首を見せつけて来た女性たちがいた。
彼女たちの無邪気な笑顔と、目の前にいる女性の顔が重なる。この人は捕食系になってしまったのだ。私とは似て非なる存在。
次に私が取ったのは、買い物を続ける彼ら一家を、彼女の視界から隠すという行動だった。とは言え、匂いで獲物を見分ける私たちには、無駄な行動だったかも知れない。
彼女はすぐに対象に気づいて、嘲笑うような笑みを浮かべた。
あれが環さんの宿主ってわけ。うふふ。大丈夫よ、知り合いの大切な男性を襲ったりはしないわ。
嫌な笑い方だ。妻がいる男性に寄生していることを嗤っているのかと思ったが、どうもそれだけではなさそうだった。
怪訝な顔で見つめる私に、女性はおかしくて仕方ないと言ったように笑い声を上げる。
私たちが食べられるのは不妊の男性だけなのよ。でも、あの方にはお子さんがいらっしゃる。これってどういうことなのかしら。
私の顔から血の気が引いた。女性はおどけた表情で唇に人差し指を当てて、誰にも言わないわ、と言い置くと、茫然自失している私をその場に残し、鼻歌を歌いながら歩き去った。
私は、背後を振り返った。デパートで買い物をする仲の良い一家、その子供や孫の顔立ちは、確かに彼には全く似ていなかった。
※
知りたくもないことを知らされた私は、いよいよ彼の前に姿を現すことは出来なくなった。
あの女性が嘘をついている可能性を必死で模索したが、似たような状況の仲間に会うたびに、その疑いは否定されていった。
何も知らず孫を抱いて微笑んでいる尾中氏を見る度に、その妻に対する憎悪が膨れ上がる。
恩人である彼の幸せを壊したくはない。彼が幸せならばそれでいいのだ。そう言い聞かせても、胸の憤りは収まらない。
このようなことが許されていいものか。尾中氏の妻は夫を騙し、他の男との間に作った子を彼に育てさせ、何食わぬ顔で女の幸せを謳歌している。
幸せな家庭を持てなかった不満、子供たちに対してついぞ母親らしいことが出来なかった不満を、ともすれば彼の妻にぶつけてしまいそうだった。
しかし、それをすれば私は本当の意味での化け物になってしまう。人を殺める修羅に成り下がり、今度こそ地獄に落ちることだろう。
そうしてまた、長い時が過ぎた。すっかり髪の白くなった彼は、もう登山が出来るような身体でもなく、近所を散歩しては、夕刻には床についてしまうことが多くなった。
ある時、寝入っている彼の体に入ろうとする者が現れた。私はやんわりとそれを押し返し、侵入者の姿を確認する。
今村スミレ、と彼女は名乗った。戦後の、苦労を知らないお嬢様といった印象の娘だった。彼女も私と同じ寄生系ではあったが、まだ特定の宿主は決めていないという。
老婆心ながら、色々な男性の身体を渡り歩くのは不純である、捕食系から宿主を守り抜いてこそが寄生系である、と言うようなことを私は諭した。早く宿主を見つけるように説教しつつ、液状人間についての情報を開示した。
相手の男性の条件、即ち不妊でなければ寄生できないことについては、敢えて話さなかった。彼女がいずれ宿主を見つけた時に、私と同じように苦しめばいいと思った。
親元でぬくぬくと守られて、大事にされた末の病死だと言うから、この子は恐らく、結婚どころか恋人すら持ったことがないのだ。少しくらいは苦労するといい。
そんな邪念を抱いていた罰が当たったのか、スミレちゃんは年上である私に、生意気にも盾ついてきた。
ですが、環さん。仲間の捕食の邪魔をすることが、種として正しい行為なのでしょうか。
私の愛想笑いが凍りついた。彼女は言うのだ、捕食系も同じ仲間であるには違いないのに、彼女らと対立してまで、それは守る価値がある男性なのかと。
返す言葉もなかった。実際そう指摘されるまで、私は尾中氏に惚れていると思い込んでいたわけだが、今にして思えば彼への執着は、依存に近いものだったかも知れない。
どれだけ宿主を思おうが、姿を見せない限り相手にその気持ちは伝わることはない。私が尾中氏に名乗りを上げないのは、彼のためを思ってのことではなく、単に自分が傷つくことが怖いからだった。
捕食系から彼を守っているとは言っても、彼が襲われそうになった試しは一度もない。若いころならいざ知らず、老いて筋張った彼の肉は、もはや捕食の対象ではないのかも知れない。
スミレちゃんはしばらく私の返事を待っていたようだが、やがて頭を下げると、静かにその場を辞した。
彼女の気配が完全に部屋から消えても、顔から引きつったような笑みが、いつまでも消えなかった。
お前は見た目が良くないから、せめて客に不快を与えないような笑顔だけは心がけろ。
そう父に言われていた私は、産まれてから一度も、心から笑ったことなどなかった。
本当は知っている。人と比べて私の方が不幸なのだと、そんな風にしか考えられない私などが、彼女に説教などする資格はなかった。
ただ、私は誰かに認めて欲しかったのだ。私は今、愛する人を得てとても幸せであると。私のしていることは間違っていないと。
男性の体に巣くう以外、他に楽しみもないのだから、せめて同族からの賞賛や優越と言った、見返りを求めるのはいけないことだろうか。
うう、と尾中氏が唸った。
枕元で交わされる私たちのやり取りに、目が覚めてしまったらしい。
普段の私であれば、慌てて彼の中に入る。されど今は、スミレちゃんの残した言葉が、逃げようとする心を押しとどめていた。
思えば私は、ずっと困難に背を向けてきたような気がする。父に母に、生き方を押し付けられた際も、はっきりと嫌だとは言えず、自活する力もないのに家を飛び出した。心配して連れ戻されるのは当たり前だったのだ。
夫にも子供にも、本当は結婚したくなどなかった、子供などいらなかったと、そんな顔をしてばかりだった。心を開けば愛してもらえたかも知れないのに、自由と天秤にかけて、不幸だと思いこもうとした。
今、私の前に横たわる愛しい男性が、ゆっくりと目を開こうとしている。妻子の手を優しく撫でるその手が、その眼差しが私にも向けられたら、と何度願ったことか。
尾中氏の目が私を捉える。全裸で正座をしている、美しいとは呼べない女の姿に、彼はしばらく瞬きを繰り返していた。まだ寝ぼけて居るのかも知れない、と私はそっと半眼を伏せた。
身を隠さなかったことを、後悔はしていなかった。スミレちゃんに言われるまでもなく、彼に対して秘密を抱える私の心は、既に限界を迎えていたのだ。
彼の妻へ向ける憎悪は、日に日に膨れ上がる一方だった。あれはあなたの子供ではありません、そう伝えて彼を傷つけるくらいなら、きっとこれで良かったのだ。
じきに彼は正気に返る。そして化け物と罵られ、何十年と続いた私たちの関係に終止符が打たれる。
私が覚悟を決めた時、尾中氏は小さく呟いた。
君だったのか……。
彼は老眼鏡を手に取り、しげしげと私を眺めた。
思いもよらない反応に、私の方が尻込みした。今更ながら裸を見られている事が恥ずかしくなり、胸を腕で覆い隠す。
待っておくれ、もっとよく顔を見せておくれ。
彼はそう言って、娘にそうするように身を乗り出し、私の頬を両手で挟んだ。
抱き締められるかと思ったが、既に彼は老体であり、女性の体を見ても勃起もしない。本当に純粋な気持ちで、私が姿を現したのを喜んでくれているようだった。
あの冬、私を食べたあの時から、彼は何者かが体内に留まっていることに気づいていたらしい。夜中に目が覚めた時、たまに若い女の亡霊のようなものが、枕元に立つことも。
それからずっと体調が良く、この年まで病気らしい病気にもかかったことがない。それは君のおかげなんだろう。ずっとお礼が言いたかった、と彼は言ってくれた。
ありがとう、と言われるたびに、私の胸が切なく疼いた。ああ、姿を見せて本当に良かった、と思った。私を挑発したスミレちゃんに、心から感謝していた。
※
子供や孫が独立し、年の離れた妻も家を空けがちで、彼も寂しかったのだろう。
環や、と呼んで可愛がってくれた。私も彼を旦那様と呼び、住み込みの女中のように身の回りの世話をした。
蜜月はわずか1カ月で終わりを迎えた。父に鍛えられた私の敏感な味覚は、彼の内臓が弱っていること、死期が近いことを察していた。
彼を看取ったのは、裏切り者の妻でも子供でもなく、赤の他人である私だった。必死に看病をする私に妻子宛ての遺言状を託すと、それから程なくして、彼は眠るように息を引き取った。
老衰であった。まるで、私が彼の前に姿を現すのを待っていたかのようだった。
どうせ遺産は妻子に渡るのだろう。私は、読み終えたら無論破り捨てる心づもりで、彼に託された遺言状を開いた。
遺言状には、こう書いてあった。
『長年にわたり、私を内側から支え続けて来てくれた吸田環へ、全財産を譲る 尾中兵多』
私の手から力が抜けた。
遺言状がひらりと畳に落ち、私もまた、狭い四畳半にへたり込んだ。
嬉しいのか悩ましいのか、口元の複雑な笑みを抑えきれない。笑い出したいのに、涙が目の端に滲んでくる。
彼は、知っていたのだ。私の存在はおろか、長年連れ添った妻の子供が、自分の子ではないことすらも。
気づいていながら、死を目前にしても妻を責めることは一切せず、最後の最後に私を利用して、鮮やかな意趣返しをした。
私は家人が留守なのをいい事に、畳の上に寝そべり、大声で笑い転げた。
はしたないと眉を顰める父も、夫も子供も、ここにはいない。ただの一人の女になって、初めて心の底から笑った。
よくも、こんな仕返しを思いつく。さすがは、私が初めて好きになった男性だけの事はある。
吸田環って誰よ、と髪を振り乱した女が叫ぶ。
誰よと問われても、参列者は誰も知らない。答えられる者は誰もいない。それは遠い昔に、既に死んだ女の名前だ。
彼の妻は、伴侶の死ではなく、その財産の殆どが『吸田環』の名で養護施設に寄付されていたことの方を嘆いている。妻子の手元には、わずかばかりの金額しか残らない。子供に罪はないが、いい気味だった。
参列者が帰った後、喪服の女は呟き続ける。他に好きな人がいたのに結婚させられた、ずっと辛かった、耐えていた。だから死んでも心は痛まない。でも夫が稼いだ金は私のもの。
聞いていて他人のような気がしなかった。なるほど、あの女も私と同じ性質をしている。だから、心の底から憎いとは思えない。
一生、いいえ死んでもそのまま、己の自由だけ見つめて生きて行くといい。父や夫に悪態しかつけなかった、かつての私そのままに。
私は、用のなくなった尾中家を颯爽と後にした。
本当に自由の身になった。これから先、どこへ行こうか。何をしようか。
思う傍から、苦笑する。私はきっと、あれこれと理由をつけて、結局はどこへも行けないのだろう。そういう女なのだと、享年二十九にして初めてわかった。
真っ直ぐに繁華街へ向かい、東京タワーの頂上に登って、街並みを見下ろした。焦土にされて二度と復興できないと思っていたのに、たった数十年で煌びやかな都会の喧騒が戻った。
スミレちゃんたちの世代の努力の賜物だろう。昔の事など忘れたかの如く、次世代を乗せて走る鉄道の賑やかさ。山手線。品川、大崎、恵比寿に渋谷、新宿、池袋、大塚、田端、日暮里、上野、秋葉原、東京、そして新橋。
私の人生は、ちょうどこの環状線のようなものだ。ぐるぐると同じところを回り続けて、きっと東京から出ることはできない。
この国が今度こそ滅ぶ、その時まで。